フィッシュボーンノート術から

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「フィッシュボーンノート術」を読了。

フォレスト出版発行、著者は駒井伸俊氏だ。

 

久しぶりにフィッシュボーンのノウハウを再考できた。

書籍の内容は、フィッシュボーンの特徴や効果から始まって、仕事術や自己実現まで幅広い分野への応用例までが紹介されていた。なるほど良書である。

 

20代30代の方々には、フィッシュボーンが新しい手法に思えるかもしれない。しかし、勉強家の方にはそうでないかもしれない。本書でも紹介されているように、フィッシュボーンは超一流の企業が50年以上使い続ける古典的な手法である。

 

もちろん古典的な手法だからと言って、それが良いものであるかどうかは別の話である。NLPで言う等価の符合観念を犯したくない。ただし、マインドマップと合わせて使った経験から申し上げて、使いようによっては評価に値する手法である。当然、評価についてはマインドマップも同様だ。

 

さて本著の感想を少し述べる。事例の紹介や手法の展開がすばらしい。それだけに、フィッシュボーンの良さを強調するために偏った記述が導入部で散見されるのがやや残念だ。

 

例えば、本書37項に「しかし、実際にマインドマップを描いてみると、放射状に発散していくために、下手をすると情報が発散してしまい、まとまりにかけるという印象を受けます。」とされている。

 

確かに、そのような印象を受けるマインドマップがある。しかし、そのような印象を受けるのはマインドマップだけではない。情報が発散してしまいまとまりがないという印象を受けるのは、場合によってはフィッシュボーンも同様だ。

 

フィッシュボーンやマインドマップという手法が発散を招くのではなく、手法の使い手の頭が発散を招いているからだ。どちらのノート術にしても、頭の中身を紙の上に展開する手法だと見れば、頭の中味が発散していれば、手法の違いはあったにしても、そうなってしまうのは当然のことだろう。

 

つまり、マインドマップだから発散するのではなく、またフィッシュボーンだから収束するのでもない。使い手が発散的にあるいは収束的に考えているのか、それが眼前にでてくるだけだ。その知見から申し上げるとマインドマップだから発散するというのはやや短見であり、偏った記述と先に申し上げた。

 

また同38項に「マインドマップでは視覚化しやすいけれど、構造がつかみにくい」とあり、続いて「そこで、構造化と視覚化の両方を実現する『フィッシュボーン』の登場です」とあるのだが、これについても考えてみたい。

 

なるほど、「マインドマップでは構造がつかみにくい」との場合もあるかもしれない。だが、構造がつかみにくいのはマインドマップだけだろうか。構造がつかみにくいことに関して言えば、フィッシュボーンも同様だ。と言うのは、どちらの手法にしても同語反復するが、使い手が構造的に考えているか否かが紙面に現れるからだ。

 

さらに申し上げるならば、構造や構造化が何たるかその定義を伏せたままで断定的な記述が続くことにも疑問だ。著者としては、先の構造については、語るに足りない当然のことかもしれない。だが読者にとって、その概念は当たり前なのだろうか。構造の概念を明確に述べられる声を寡聞に知らない。

 

「では構造化をどのように捉えているのか」との疑問もあるだろう。だから、「構造化とは、相互に関係する部分が全体をなしている様子」と申し上げておこう。定義だけで分かりにくいので、事例をあげる。それが、事実・データと論拠と結論・主張といった相互に関係する部分が論理という全体をなしている端的な例だ。

 

改めて繰り返すが、マインドマップだから構造化ができないのではない。さらに、マインドマップは構造化を書き方として規定している。だが、構造化をしないマインドマップの書き方をする人がいるだけだ。もちろん、このことはフィッシュボーンについても同じだろう。マインドマップだから論理が、あるいは構造化ができないのではない。そうではなく、論理的に、構造的に考えない人が先にいるだけだろう。

 

論理を例あげれば、論理的な思考や論理的なセールストークが話題になること自体が教えているように、論理を意識している人が少ない。言い換えれば、構造化した思考をする、あるいは必要とする人が多くないのだ。

 

論理的な思考をするしないを以て、頭の良し悪しを言っているのではない。そうではなく、文化的な背景が論理を好まないということが背景としてあるからだ。同一言語を使い同一の文化を共有している社会において論理を持ち出さなくても話が通じる場面が多々ある。逆に言えば、共有する文化や言語がないからこそ、その壁を乗り越えるための論理が必要となる。

 

一方、若い人たちの中にも、「KY(空気が読めない)」というように以心伝心的な会話ひいては論理から離れた感性を重んじる思考を好む流れが主流となりつつある。いうなれば、当人たちが意識していようがいまいが、腹芸や察するといった日本の伝統文化に回帰しつつあるのかもしれない。それはそれで慶賀のいたりである。

 

こうして、論理的な思考から疎遠になっている人が多く見られる。そしてそれが、紙面に投影されて構造化されていないノート術が眼前に展開される。そうではないだろうか。

 

ではどうすれば構造化されたノート術を展開することが可能か。これまでの理路からご推察の通り構造化した思考を展開することだ。例にも挙げたが、何かに関して意見・主張述べるならば、データ・事実そしてそれを評価して意見に至る論拠を示す手続きを紙面に展開する。そうすれば、フィッシュボーンを使おうが、マインドマップを使おうが構造化は可能となる。

 

「構造化が難しいからそれを促すノート術が必要だ」とのご意見がもちろんあるだろう。ならば、一つの回答をマインドマップの事例をもって示そう。例えば、構造化されたスピーチ術、あるいは文章術というのがあるが、建築物が構造様式という型を以て構築されるように、どちらにしても型を使って構造化を図ることができる。

 

その型が4段構成であり6段構成だ。4段構成は、問題提起、意見提示、論拠、結論、と四つの部分で構成する。6段構成は、オープニング、トピック、意見提示、背景、論拠、結論、と六つの部分で構成する。オープニングとトピックを問題提起、背景を論拠に回収すれば6段構成も4段構成に還元できる。

 

どちらの方を使うにしても、六つの部分あるいは四つの部分を、紙面中央に書くテーマを表したから伸ばしていく最初の枝に言葉として記述する。こうして、構造化の一端を始めることができる。

 

最初の枝に書いた言葉を抽象から具象へ、原因から結果へ、というように階層化するように展開していけば、構造化をさらに進めることができる。階層化とは、一定の基準で物事が層状に並んだ様子である。視覚的に申し上げると、マインドマップの枝が大枝から中枝、さらに子枝へと広がっていく状態だ。

 

そのように階層化で展開された一連の枝の中に順序を示すための符号や番号を記述すれば、時系列や概念の序列を表現することもできる。こうすることを序列化というのだが、階層化に加えて序列化を導入することで、例えば論理構成も簡単に構造化できる。というよりも序列化や階層化を導入しないと論理構成は成り立たない。

 

手法が結果を保障するのではなく、結果が保障されるように手法を使うようにすることが大切だと最後に繰り返して強調する。

 

最後にお知らせ。

構造化について深く学べるマインドマップ基礎講座を開催中。

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