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先日のことだ。一気に、あるいはやっと、ご存じのように国会が解散になった。

 

恒例なのだろうか、国会議員の先生方が天に拳を突き上げての「ガンバロー」コールをなさっている場面をある報道番組で目にした。国政を賭けてそれぞれの政党が気勢を上げる一見威勢の良い場面だ。

 

ところが、各政党でその場面が微妙に異なる。ある政党は意気揚々と、ある政党は声とは裏腹に各人の思惑がにじみ出て別の空気が流れていた。

 

ある政党のガンバロー場面を拝見しつつ、それでは頑張れまいと失笑してしまった。

 

もちろん、これまでの政局の流れがあるから仕方がない。だが、口では「ガンバロー」と言いつつも、表情が死んでいる。あるいは、諦めの表情をしている先生方がいらっしゃる。

 

ご本人たちはご存じないだろうが、そうしながら「ガンバロー」とシュプレヒコールをやっていると、あることが確実に訪れる。もしくは、「ガンバロー」と声を聞く度に、ある状態が再現される。

 

ある状態とは本人の意識とは無関係に頑張れない状態が再来することだ。ご本人はお気づきではないだろうが、NLPで言うアンカリングというものが成立するからだ。

 

アンカリングとは、ある感情である動作をすると、動作と感情が緊縛されることだ。つまり、ある動作をしたらある感情や状態が導かれるように条件付けが成立する。人におけるパブロフの犬で知られる状態である。

 

アンカリングは感情や状態が強ければ、ご本人の意志とは関係なく、1度で見事に成立する。加えて、ある状態と動作の関係はくり返される程に強固になる。ある状態は意識的な状態だけではなく無意識的な状態も関係する。

 

状態とは、諦めややる気といった感情や、元気や落ち込みなど体の感じだ。それが、動作や言葉をする度にアンカリングの仕組みが発動して再現される。

 

ここで、学生時代を思い出して欲しい。英語の授業で正しいと思って自信満々に、例えばradioの「レィーディオ」と発音をしたことを教師に「おかしい」と指摘される。

 

ついでに「レィーディオだって、格好つけて」と同級生と揶揄されたとしよう。すると、思春期の敏感さもあいまって、強い羞恥心や憤りを感じる。

 

すると、どうだっただろうか。それ以来、英単語を発音すると嫌な目に遭うと無意識のうちに条件付けが成立し、英単語の発音が嫌になる。引いては英語の授業が嫌になったことはないだろうか。

 

極端な例かもしれないが、英語に限らず他の教科でも、そう言う経験が1度や2度はないだろうか。そうなるのは、英単語の発音をすると恥をかくという条件付け、つまり英語にマイナスのアンカリングが成立したからだ。

 

余談だが、アンカリングは学習が進行している状態だ。学習をなすところが教育だが、教育関係者の一部は、パブロフの犬を概念的にはご存じでも、それと同様のアンカリングの仕組みを「学生は犬ではない」としてか知ろうとしない。

 

そのためか、知らず知らずのうちに勉強嫌いを大量生産なさっている。もちろん、これは教育関係者の方々の能力不足をあげつらっているのではない。そうした仕組みは教育会だけではなく、世の中の多くで知られていないだけだから仕方がない。

 

閑話休題。解散後のシュプレヒコールの場面で声だけ「ガンバロー」を発せられていた先生方は、解散後にそれぞれに強い感情をもとに声を出し、拳を天に突き上げられたことだろう。

 

だが、その感情がプラスであれば、プラスのアンカリングが成立している。だが、諦めや戦う前からの敗北感がありながら、表面的に気勢を上げておいでだったら未来はある程度決まっているかもしれない。

 

「ガンバロー」と言う度に、その感情がアンカリングの発動と友に再来するからだ。だから、とってつけたような、取り繕いのガンバローでは頑張れない。その動作や声を上げる度に、国会が遠ざかる先生方がおいでになるだろう。こうして、与野党の逆転が生まれるのかもしれない。それはそれで慶賀の至りである。

 

ただし、この状況は笑ってばかりはいられないかもしれない。こうした状況は、企業における研修で数多く散見されるからだ。研修にかり出された社員は嫌々ながら儀礼的に「ガンバロー」とシュプレヒコールをする。

 

だが、その状態や感情は冷ややかなものだとどうだろうか。ご拝察のとおり、そうすること事態がやる気のなさや組織に対する冷ややかさを強化する。研修の効果が見事に一度で確立される。

 

もちろん、マイナスのアンカリングをプラスに転じる方法がある。マイナスの状態が去来するアンカリングが成立しているのだから、プラスのアンカリングが成立することも同様にして可能だ。

 

アンカリングの中和というテクニックが使えるからだ。だが、そのテクニックをここで安直に述べることは誤解をまねく恐れがあるので控えたい。

 

これから本格的な選挙戦が始まる。各先生方の活躍を心よりご祈念申し上げるばかりである。NLPの視点から国会や国政選挙をみると面白くもある。

 

NLPトレーナーでもある近藤がリードするマインドマップ基礎講座はこちら。

最近、ある人から不思議な話しを聞いた。

 

その方は、フォトリーディングのインストラクターである。

「フォトリーディングの講座に魔法を求める人がいて困る」と言うのだ。

 

魔法とは、一瞬で書籍や法律文章を理解することである。

または、英語の原書を一瞥しただけで分かるようになることだ。

そのようなことが不可能だと分かると、苦情を述べる人がいるそうだ。

 

それはいかがなものだろうか。

確かに、奇跡を期待したくなる気持ちも分かる。

私もそのような時期があったので、少なからず理解できる。

だが、その期待は裏切られても仕方がない、というのが私の考えだ。

 

もし、そのようなことができるならどうだろう。

誰が額に汗して本を読み、法律を学び、英語の辞書をめくるだろうか。

本当にそのようなことができるなら、とっくに教育に採用されるはずだ。

逆にできたとしたら、教育は決して採用しないだろう。

もし採用したら、それは教育でなくなるからだ。

 

そうでなくても、そのようなことが本当にできたら困ったことにならないか。

何でも見た瞬間に理解できることを想像して見て欲しいのだ。

もしそれが可能ならどうだろうか。

 

自分が理解したくないことも瞬時に理解してしまうことになる。

知りたくないことの情報が一瞬にして精神に乱入してきてしまうのだ。

それが事実として起こるとしたら、それに遭遇した心は混乱の極みだろう

 

極論に聞こえるかもしれないが、精神は崩壊に見舞われるだろう。

そこまでいかないにしろ、要するにそうなれば洗脳と同じである。

本人の意志とは無関係に短時間で精神的な変化が起こるからだ。

 

このようなことは知的健康から見たら危険ではないだろうか。

フォトリーディングに魔法を求めるのはそれを良しとすることだ。

魔法を求める人は、そのような魔法が自分自身にあって欲しいのだろうか。

本当にそれでよろしいのか。

 

ただし、フォトリーディングが危険だと言っているのではない。

そうではなく、フォトリーディングは読書法の1つなのだ。

あるいは情報獲得法であり、決して魔法ではない。

そのことを申し上げたいのだ。

 

日常的にフォトリーディングを活用するが、私に魔法は決して起こらない。

確実に理解や読書の速度が上がったりするのは確かなことだ。

だが、それは決して奇跡ではなくあたり前のことだろう。

それが洗練されたテクニックというものだ。

 

ただし、その効果があらわれるには条件があるのだ。

専門分野であったり、馴染みの作家であれば効果を実感できる。

考えてみればあたり前だが、そうなるのは語彙や知識があるからだ。

語彙が本に意味を与え、知識が推論を助けてくれるからなのだろう。

だから、専門分野や馴染みの作家ではフォトリーディングの効果が顕著に現れる。

 

以前、速読のパラドックスをこのブログに記した。

速読をするには、時間を掛けて本を読み語彙を増やす。

そうすることが、結果的に速読を助けるから精読の大切さを強調した。

 

以下は推測だが、フォトリーディングには省略された前提がたぶんにある。

その前提は、繰り返すが読者が語彙や知識を豊富に持っていることだ。

読者が脳内に高速検索できる辞書を持っていたらどうだろう。

想像するにまさにフォトリーディングが可能なはずだ。

目にしたことを高速に意味の検索できるからだ。

 

では、そのような脳内辞書は、どうしたら可能だろうか。

常識的に考えれば、日頃の努力や勉学によってできるはずだ。

過去を振り返れば、勉学で努力した人がでそうであったことが思い出される。

だから彼は高速に教科書を理解し優秀な成績を収めたのだ。

 

たぶん、フォトリーディングは地道に勉強する人にこそ恩恵をもたらす。

コツコツと未知の言葉を調べ、地道に知識を増やす人にメリットがあるのだ。

 

さて、考案者はNLPを学んでいる。

そのNLPを使って読書が得意な人を研究したはずだ。

その研究手法をNLPではモデリングというが、大方そうしただろう。

そうして、効果的な読書の戦略をフォトリーディングとして再構築したのだ。

そう断じるのは、各所にNLP的な手法が見受けられるからだ。

 

ただし、このプロセスで省略された前提があるようだ。

それが先に申し上げた読者の語彙や知識の豊かさだ。

 

なぜそれが言い落とされているか。

もちろん、それを言わないのは多くの速読法も同じである。

1つの推測を申し上げれば、それを言っては商品として売りにくいからだろう。

だからといって、速読法の全般が無効であることを意味しない。

努力を敬遠する人を遠ざけたくない心使いからだ。

 

例えばの話しである。

「朝起きたら顔を洗いましょう」といちいち言わない。

「眠る前は歯を磨く方が良いですよ」も同様に言われない。

フォトリーディングで、地道に語彙や知識を増やすことはそれと同じだ。

 

こうして魔法がフォトリーディングに存在しないことが分かった。

フォトリーディングを効果的にするには地道に勉強して語彙を増やすことだ。

 

もし、フォトリーディングを魔法たらしめたければ、額に汗して勉学する。

これこそが、考案者が省略した本当の前提かもしれない。

もちろんこれは試験勉強術にも通じている。

 

合格を目指す試験勉強術講座は3月20日に開催。

「原因」と「結果」の法則

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ジェームス・アレンを読了。

題名は、「『原因』と『結果』の法則」である。

原題は「AS A AMN THINKETH」で直訳すれば「考えたとおりに」となる。

 

ナポレオン・ヒルのような成功哲学の礎になった本との触れ込みである。

内容は邦題から分かりにくいがまさに直訳の原題が言うとおりにであった。

換言すれば、全ての結果は「考えたとおりに」なっていると主張している。

 

我々は環境に苦情を申し立て不満を述べる。

しかし、そのような状況が来るのは「考えたとおりに」なっていると教える。

 

なるほど。

納得できる教えであった。

 

NLP的に見ると、自己認識が環境を左右する、と言っているのだ。

ロバート・ディルツは神経学的論理レベルというモデルを提唱している。

自己認識を頂点に、信念・価値、能力、行動、環境を階層にして人は存在する。

 

自己認識は頂点にあるものとして、下層に大きな影響を与える。

下層も上層に影響を与えるが、上層の影響は絶大というのだ。

これがディルツの提唱するモデルである。

 

アレンのいう「考えたとおり」を自己認識がなすことと置き換える。

すると見事に符丁が一致するが、ディルツもアレンの影響を受けたのかもしれない。

 

邦題が言う「原因」とはアレンの「考え」であり、ディルツの自己認識である。

アール・ナイチンゲールは「人は考えたとおりの人間になる」と言う。

まさにその通りかもしれない。

 

ここで「考えたとおりに」なるは本当かを見てみたい。

確かに、アレンの本が読み継がれている事から真実であろう。

しかし、そうなるとばかりは言えないのはお気づきの通りである。

 

我々は意識ではあれこれと考える。

ならばその通りになって当然だが、多くの結果は考えた通りにならないのが事実。

ここでアレンを真であると仮定するなら、「考えたとおりに」とは何だろうか。

先に意識ではと述べたが、実のところ人はもう一つの意識でも密かに考える。

密かに考える場所が潜在意識である。

 

潜在意識は書いて字の如く潜在していて日頃は気づかない。

が、確かに存在しており人の意識や行動に大きな影響を与えている。

その力は能力開発で言われるように人が持てる全力の九十数パーセントとなる。

よって、潜在意識が「考えたとおりに」なることは推して知るべしであろう。

 

つまり、「考えたとおりに」と言うのは、実は潜在意識でと言うことでもある。

確かに、アレンは意識で考えたとおりにといっている。

原文が書かれた年代はまだ意識の研究はそれほど進んでいない。

だから、文面を読むとあくまで意識で考えたとおりにと文章が進む。

 

しかし、今にある意識の構造からみるとアレンが言うことは何か。

意識全体で考えたとおりに人は「結果」を作っている。

潜在意識で密かに考えたとおりに環境も手に入れている。

そのように述べていると捉えて良いだろう。

 

ここまで述べて1つの問いが起ち上がる。

では潜在意識で考えていることはどのように捉えれば良いのか。

潜在意識は気づかない意識の領域であるからとらえどころのないものである。

それをどのように捉えれば、自らの考えを改められるだろうか、と問うたのだ。

アレンの「考えたとおりに」が真なら、どこかの考えを点検すれば良いのだからだ。

 

見えないものを見るにはどうするか。

1つの仮説をここに述べるなら、それは「結果」を見ることだ。

その結果から逆に原因を考察すれば良いのではないかと推論できる。

 

例えば、あることで「必ず行きます」と言っていた人が「来なかった」ならどうか。

結果からは「行かない」とする考えがあったことは推して知るべしである。

つまり、密かに意識のある部分で行かないことを考えていたとできる。

 

行きますと言っていて行かなかったご本人は多様な説明をなすであろう。

しかし、原因と結果の法則から言えるのは、結果が原因つまり潜在意識を表す。

口で言うこととは裏腹に、ご本人が行ったことが「考えた通りに」を語っている。

 

こうして「考えた通りに」を知るには「結果」を見ることと言えまいか。

後追いになるが、結果を止まって観れば、その原因である考えは見て取れるのだ。

見て取れたならば後は、自分がこれからどうするかを選択することは可能だ。

まさに、どうするか「考えた通りに」なるように深く考察することだ。

 

だが、いくら考察しても潜在意識の力は強いのだから、意識通りになる確率は低い。

よって、止まって(結果を)観てどうすか選択する、このプロセスをこまめに行う。

最終的な結果が出て、手の施しようがなくなる前にこまめに打ち手を行うのだ。

 

自らの結果をして自分に常に次の行動へのフィードバックを与える訳だ。

フィードバックをもとに意識で思っていることをなせるように行動する。

これを意識の思いが形になるまでこまめに繰り返すのだ。

 

日本のNLPで草分け的存在の青木氏はこれを「せちやモデル」と教えた。

成功するまで、違ったことを、やりつづける、の頭文字をモデルの名称にした。

「考えた通りに」ことを進めたければ「せちや」をすることだ。

そうすれば潜在意識に負けず意識的に人生を構築できるはずである。

だって「人は考えたとおりなる」のが真実だからである。

 

さて、「原因」と「結果」の法則はヴィジョンの章で次のように述べる。

「人間が達成するあらゆる成功が努力の結果です」と。

この部分はややもすると読み落とされるかもしれない。

「原因」である「考え」さえしていれば「結果」がついてくる。

そのように文章が始まるからである。

 

しかし、先の述べているように成功は努力の結果である。

努力とは「目標実現のために、心身を労してつとめること」と広辞苑は示す。

 

やたらと身を動かすばかりが努力ではない。

心も労して目標実現に務めることが努力なのだ。

意識的に潜在意識的に常に私たちは努力をなしている。

そうして人はどちらか心が考え通りに常に成功をなし得ている。

 

NLPが「人は完全に機能している」と言うとおりである。

だだし機能がどこの「考え通りに」ことをなしているかは要注意である。

自らの努力にたいして常に目を覚ましていることが肝要なのだ。

 

明後日はイブである。

キリスト誕生の前夜祭である。

彼は後年「目をさましていなさい」と述べた。

不信心者の小生にとっても含蓄の深い言葉である。

 

マインドマップ基礎講座は1月4日、11日に開催する。

講座の会場でお会いできれば幸いである。

 

 

 

KondotetsuoS.jpgこんにちは。

BLI&NLPトレーナーの近藤です。

 

昨日のこと新しいことをしました。

今までの写真でも良いんじゃないかなと思っていました。

でも、やっぱり写真を撮り直すことにしたのです。

 

そうした背景がありました。

ひと月くらい前のことでした。

BLI、ブザン公認インストラクター向けにWEBセミナーがあったのです。

講師はインストラクターを束ねていらっしゃる神田昌典先生。

 

テーマはパーソナルブランディング。

自分で自分をブランドにどうやって育てるか。

極めて興味深く、かつ奥の深いものでした。

神田先生は、見た目も大切にしなさいと言っていました。

 

なるほど。

痛いところをズバリとご指摘いただいた感じでした。

 

メルマガでは以前に「自己イメージ」をテーマにしていたからです。

灯台もと暗しで、自分のことは「別に良いじゃない」と棚に上げていました。

なのに、自己イメージをアップしましょう、と申し上げていたのです。

多いに反省した訳です。

 

自己イメージをあげるには2つの言語が使えます。

 

1つは、社会的な言語である言葉です。

メルマガでは自己イメージアップのアファメーションをご案内しました。

 

もう一つが、個人的な言語であるイメージです。

ズバリ、ヴィジュアル、つまり見た目です。

 

自分の見た目は自己イメージに直接に影響があります。

例えば、ドレスアップした自分を鏡で見ると瞬間に気分が変わります。

顔つきや言葉使いも自然に変わってしまうほど、見た目は強力です。

加えて、周りも見た目の変化に違う反応をしますから、

二重に私たち自身に強力な影響があります。

 

自己イメージとは会社で言えば社長です。

社長の下に様々な役職が階層をなして影響を受けます。

それに似て自己イメージの下にも様々なものがあります。

信念・価値、能力、行動、環境と順に下層に位置します。

ですから、自己イメージの変化は環境にまで影響を与えます。

 

もちろん、下層のものも自己イメージに影響を与えます。

でも、自己イメージの影響はそれにもまして強いのです。

例えば、価値や信念を変えますから、下層の能力や行動も変わります。

能力や行動が変われば、もちろんパフォーマンスがかわります。

ビジネスでもプライベートでもその効果は絶大です。

 

こうして、パーソナルブランディングにも自己イメージが大切なのです。

だから、新年に備えて自己イメージを見なおす。

そのために写真を撮り直したのです。

それが冒頭のものでした。

 

新年に向けて自己イメージを見なおしてみませんか。

マインドマップを書いてみると自分のことが良く分かります。

あなたも自己イメージを変える最初の一歩を始めることができますよ。

 

12月は23日、1月4日・11日とマインドマップ基礎講座を開催します。

 

 

 

NLPとは

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皆さん、こんにちは。

実践NLPトレーナーの近藤です。

 

私のミッションを実現する軸のひとつがNLPです。

 さてNLP(神経言語プログラミング)とは何でしょうか。

神経言語プログラミングを勉強し始めたのはもう20年前になります。

 

その当時のことです。

 

「NLPを勉強しているんだ」と母親に話したんです。

「プロパンガスの取り扱い免許を取るの」と言われました。

母親の耳にはどうやらLPGガスとしてNLPの発音が響いていたようです。

 

また物知りの友達に同じく勉強していることを話したらどうなったか。

「米軍のパイロットになるの」と言われたんです。

「なんでパイロットなの」とわたしは聞き返したんです。

すると「NLPって、あの夜間発着訓練、Night Landing Programのことでしょ」と友達がいいました。

 

今ほどNLPが認知されていなかったんですね。

参考書と言えば東京図書の「神経言語プログラミング(Using Your Brain for a change)」だけでした。

なんとその本は何とコンピュータ関係の書棚においてあったんです。

 

なぜその書棚の前にいたのか。

確かに、当時の私はコンピュータに強く惹かれていました。

しかし、NLPを勉強するつもりはサラサラありませんでした。

その中でもとくに興味を持っていたのが構造化プログラミングだったのです。

 

なにかおもしろそうなコンピュータ関係の書籍を探していたんです。

そこで何気なく手に取った本が先の書籍だったんです。

NLPとの不思議な関係はそこで始まりました。

 

交流分析やゲシュタルト心理学を少し学んでいましたから、

その本を読み始めたらはまってしまいました。

NLPの創始者で著者のリチャード・バンドラーの物言いに魅了されました。

 

最近はNLPを紹介した良書がたくさん出版されるようになりました。

そのなかでもお薦めできるNLPの解説書がチーム医療の「NLPのすすめ」です。

 

 「NLPのすすめ」の冒頭でNLPをトニー・ブザンが、

「NLPは、学習とコミュニケーションを理解するのに貴重で興味深い手がかりを与えてくれる。

 ジョセフ・オコナーとジョン・セイモアの著作は、この分野でもすぐれた入門書である」と述べています。

 

トニー・ブザンは世界的な脳と学習の権威です。

脳力開発として最近は注目されているマインドマップの発明者です。

そのブザンはNLPが「学習とコミュニケーションを理解する手がかり」と見ているのです。

 

確かにNLPは学習とコミュニケーションについて注目した学問です。

ブザンの慧眼は見事にNLPの本質を見抜いています。

 

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