機能する学習: 2010年11月アーカイブ

秋の連休も今日で終わり。どのようにお過ごしだっただろうか。このところ、「気づきとは何か」を考えている。皆さんにとって、気づきとはいかがなものだろうか。

 

例えば、「アッ」と呟いてしまうあの感覚である。1例だが、背景色である黒で描かれた顔が左右対称に向かい合っていると最初は見える絵があるとしよう。黒で描かれた図だと認識していたものから、ある瞬間の事、突然に白地の壺や花瓶の形が浮かびあがる。同様に、鼻の大きな老婆の絵から美少女が現れる例もある。

 

そして、気づきはその感覚の下層にもっと深い何かが起こっている何かだ。感覚的に表現してみると、固定していた視点が一挙に転換する。例えば、視線が人の目の高さから、鳥の目の高さに変化する。当然にこの時はより広大な情景を目にするから、新たな認識が起こり、その認識は人をして新たな思考に誘う。

 

あるいは、自分から抜け出た自分が何かを見ている自分を観ている感覚とも言える。つまり、自分を観ている自分は二重に認識している。認識の認識を得る、つまり上位の認識であるメタ認識をしている。メタ認識の視点は、ある認識を別の認識から捉え新たな思考を起動する。認識する対象に新たな意味づけを与える。

 

NLP的にみれば、メタ認識をしている時に、物事を多面的に捉える事ができる意味の再定義を起こすリフレーミングが可能だ。例えば、雨を嫌う視点にある営業マンはやる気をなくす。だが、それらの営業マンを眺める視点に立てる営業マンは、雨天を競争相手がやる気をなくしている好機に転じられる。

 

こうして、私たちは何かを認識する事から始めて、それを捉える自分を認識してと、ある対象をより大きな視点から捉えて新たな意味を持つ能力を蔵している。この能力は何かを認識している自分を一定の時間に心像として心の中に保持する能力があって可能な人と人に近いとされる数種の動物に可能な事だ。

 

例えば、片道90分の通勤時間を退屈だと認識しているとしよう。その認識ないに留まる限りは、通勤時間の意味づけはそこに釘付けされたままだ。だが、退屈だと認識する自分の姿を認識できる別の視点を持つと、通勤中に受動的に何もしないで退屈だとしていた自分も見えてくる。そこで、一例だが聴覚学習をする事が閃く。

 

この能力を発揮している瞬間こそが、問題が問題でなくなる瞬間だ。問題が解決した瞬間と言っても良い。話しを視点に戻せば視点の次数が1つ繰り上がった時であり、気づきを得ている時だ。人によってはこの時をブレークスルーと呼び、別の人はこの時を閃きや発見と言っている。これが常時ある人を天才と呼ぶのだろう。

 

では、そのように天才的な視点の持ち方、つまり頭の使い方は常人にはできないのだろうか。確かに、凡人には無理だと諦める事もできる。だが、天才そのものになれなくても、近づく事は可能だ。天才はエジソンが言うように努力の結果であるからだ。近づくために何らかの努力をなせば良い。

 

そうは言っても努力には辛くイメージがある。その一方、辛い努力をしなくても天才に近づける方法を提唱する人がいる。世界の叡智、神田昌典氏と勝間和代氏が大絶賛する「アインシュタイン・ファクター」共著者のウィン・ウェンガー博士だ。この度、喜ばしい事に博士が再来日し、11月27・28日とセミナーに登壇される。

 

それが、「プロジェクト・ルネッサンスセミナー」、イメージストリーミング・ワークショップ である。イメージストリーミングは脳内を流れる膨大な感覚情報を言葉にする事で認識し、その認識から博士独自の手法によりメタ認識を得る手法だ。天才的な気づきを得る方法である。まさに、天才の頭の使い方を学べる好機だ。

 

詳しくは下記をご参照いただきたい。
http://www.winwenger.jp/index01.html

 

もし、天才の頭の使い方に興味を持ち、ワークショップに参加申し込みをされる際はコメントに「近藤哲生から紹介」とひと言書いていただければ、ウェンガー博士の1ファンとして幸である。

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