MindMapの最近のブログ記事
マインドマップの新しい講座が始まって久しい。
その講座は、教育やメンタルやビジネスの分野を射程にしている。
目的は、それらの分野に専門的なマインドマップの使い方をご提供することだ。
専門的とは、次のようなことに特化した様を指すが、その一部を見るとこうだ。
・教育分野:授業や講義で生徒に対して教育効果を高める
・メンタル分野:コーチングやカウンセリングでクライアントを支援する
・ビジネス分野:発想力やプレゼン、コンサル力など業務力を向上させる
各分野でご活躍の皆さんが専門的にマインドマップを学べる場を公開している。
マインドマップの使い方は、次のように専門的に幅広く提示される。
・脳力強化:理解や記憶、創造性を高める
・業務力向上:発想力やプレゼン力、ファシリテーション力の向上する
・支援力拡大:コーチングやメンタリング、カウンセリングで効果性を高める
ひと言でいえば、新しい講座の目的は「仕事力アップ」となろう。
その目的を具現化するためにマインドマップの幅広い使い方を提供することだ。
さて、ここで考えておきたいことがある。
そもそも仕事力とは何かであり、仕事とは様々な様態があるが何だろう。
それを論ぜずに仕事力をあれこれ言うのは浅薄だから、話しを根本に戻したい。
まず、仕事とは何か。
なるほど、「金を儲けること」と一発回答もあり得る。
だが、それは仕事の結果であり、仕事の一側面でしかありえない。
では、金を儲けることから見てみるが、金は財貨を交換した結果だった。
交換に着目すると、人は言葉や人的な交換も日常の中で営む。
人的な交換とは、親族制度であり、語弊が生ずるが要するに結婚制度だ。
ただし、この場合は相互交換ではなく、別の相手に嫁がせることだ。
こうして見ると、仕事も交換活動の一形態だと分かる。
では、交換活動とは何かだが、要するにコミュニケーションだとできよう。
としてみると、仕事とは要するにコミュニケーションとなる。
仕事力とはつまりコミュニケーション力としてみよう。
身近に見てみれば仕事では報連相といわれるように常にそうしている。
組織の中で言葉が交換される過程を通して合意が形成され仕事が形をなす。
では、仕事つまりコミュニケーションはどのような状況だろうか。
確かに、上手く行くこともあるだろう。だが、実情は実に厳しいモノがある。
誤解があり、すれ違いを起こし、悪くすると誹謗や中傷が起こるからだ。
では、なぜにそうなるのか課題を見てみよう。
コミュニケーションは3局面と3つの背景を持つからだ。
3局面とは、一緒にいる、話しを聞く、話しをする、以上の局面だ。
身は一緒にあっても、諸般の事情から心はここにあらずとなりやすい。
話しを聞くは、次はどう切り返そうかと考えるためか、聞くことが容易ではない。
話しをするは、次にある3つの背景も相まって、思いどおりに話しは伝わらない。
3つの背景とは、脳の特性、感覚の相違、言葉の比重だ。
脳の特性は、男脳と女脳と言われ、コミュニケーションでもその相違は大きい。
女脳は微妙な差違に敏感だが、男脳はそれに比べて全くの鈍感だ。
卑近な例だが、男は見た目で浮気を誤魔化したつもりになる。
だが、女は男が見逃しが肩口の頭髪一本でそれを見破る。
感覚の相違は、視覚や聴覚、身体感覚と人は無意識に得意な感覚を使うことだ。
ある人は「話しが見えた」と視覚的に話しを見る。
別の人は「胸に響く言葉だ」と聴覚的に話しを聞く。
他の人は「展開に確かな手応えがある」と身体感覚的に話しを捉える。
よって、相手に訴求できていることを余り期待できないと予想される。
言葉の比重は、コミュニケーションにおいて思ったほど大きくない。
メラビアンの法則が教えるように、内容や字面など言葉そのものは7%だ。
比べて、音量や音程といった音声は38%で、仕草や表情や視覚物は55%だ。
つまり、コミュニケーションにおいて、見た目が大半を占めている。
ここまでで、コミュニケーションで意志の疎通ができることが奇蹟だろう。
では、何が3つの局面と3つの背景を統合的に捉えて解決策をもたらすのか。
1つの有効な解決策として、マインドマップによる「見える化」を提示したい。
マインドマップは従来のノート術に比べて視覚的なノート術だったからだ。
コミュニケーションでの役割は見た目つまり視覚的なモノが大半を占めていた。
感覚の違いはあるが、共通のプラットフォームとして視覚的なものを設定できる。
男脳は鈍感だが、見逃し安い点を「見える化」して伝えて上げる事ができる。
こうして、コミュニケーションの各課題を解決するマインドマップを提示した。
さて、仕事力を上げたいなら、つまりコミュニケーション力を上げたいなら、
日常でコミュニケーションを展開する場面で見える化を図ったらどうだろう。
日々の仕事が今以上に快適に展開することを期待できないだろうか。
もし期待できそうなら専門的にマインドマップを学ばれてはいかがだろうか。
その学びの場が、マインドマップ・アドバイザー講座だ。
さっきまで見える化を強調しながら、そのご案内では文字だけだった。
これはいけないと反省しつつ、動画でご案内をしていることにも気がついた。
こちらが動画によるマインドマップ・アドバイザー講座ご案内である。
マインドマップを使った動画なので、「見える化」の参考になれば幸なことだ。
マインドマップの書き方について先日質問をいただいた。
「なぜ手間をかけてブランチを書くのですか」との問いだった。
忙しい時になぜ書くのか、と言うのが正直なお気持ちだ。
プライベートならまだしも、忙しい仕事で手間をかけるのは疑問。
なるほど、その視点からお考えには多いに共感できるところがある。
なかなか良い質問だったので、その回答をここにご案内したい。
確かに、ブランチ(枝状の線)を書かなくても良さそうだ。
しかし、ブランチはやはり書いた方が良く、結果的に得をする。
理由は3つある。
第一に、ブランチを書くことで思考プロセスを表示できる。
まず、ブランチを書かないとどうなるか。
セントラルイメージの周りに思いついた言葉を書き散らす。
書いている途中や、書いて数時間は自分の考えを再現できる。
だが、時間がたつと書いた過程に忘却が訪れる。
自分が何からはじめて、どう考えたのか思考の過程を想起できない。
数日後に見なおしたときには、暗号メモを見る気分になるだろう。
逆に、ブランチを書けば次のようなことが分かるだろう。
最初に書いた枝の言葉から自分が何をどう連想したか。
最初に書いた主張をどんな事実と論拠で支えようとしたか。
最初に書いた抽象的な概念をどのように具象化したか。
以上をブランチの繋がりを追うことで思い出せる。
つまり、連想や論理や抽象化など思考プロセスを再現できる。
再現できれば、そこから新たな思考を展開できる可能性も開ける。
第二に、太さの変化や曲線でブランチを書くことで連想を豊かにする。
ブランチは、根本を太く先端を細く線の幅を変えつつ、曲線で描く。
こうすることで、視覚的な変化が動きや流れなど新たに身体感覚を誘う。
赤い色が情熱を、青い色が落ち着きを感じさせるのと同じだ。
つまり、ここに共感覚のプロセスが発生する。
先の枝に書いた言葉からだけの連想に共感覚が重なる可能性がある。
こうして、言葉から言葉への尻取り的で短絡的な連想に幅が出る。
連想が単なる連想ではなく深みのあるものにもなるだろう。
連想に幅や深みがもたらされるのだ。
第三に、発想の飛躍がもたらされる。
これは、第二の共感覚による影響に似ている。
だが、それ以上の思考プロセスをここに見ることができる。
次の言葉を書こうとするとき、尻取り的な言葉の連想が既に始まる。
だが、ブランチを書くことで、その連想に間が空く。
間が空いた思考プロセスに意識の輻輳(サイドバンド)が起こる。
一説に、右脳は毎秒一千万ビットの情報を処理している、と言われる。
その情報が、ブランチを書くことによる中断で、左脳に流入するのだろう。
その流入がウェインガー博士が言うところの意識の輻輳だ。
ブランチを書いているとき、中断で退屈した脳は勝手なおしゃべりをする。
そのおしゃべりが意識の輻輳だが、これが発想の飛躍をもたらすことになる。
ウェインガー博士が提唱するDEAM手法と同様のことが起きている。
DEAMは、ある課題に対する自問と回答の記録を繰り返す。
またはその自問の途中で自己回答を素早く記録する。
同様のプロセスがブランチを書くことで起こる。
ブランチを書くことは、自問することと似てくる。
だからDEAMと同様のことが起きていると述べた。
こうして言葉からの単なる連想ではなく、意外な言葉が新たな枝に載る。
なぜその言葉を書くのか分からないが書いてみたら斬新なもの言いとなる。
この流れから、アイディアがそこに書かれるように、ブランチをわざわざ書く。
更に言うなら枝を書き終わってから、言葉を書くことにこだわらない。
枝を書いている途中で、閃きがおりてきたら、その瞬間に言葉を書くことだ。
閃きの言葉を書いた後に、途中にしていた枝を書いても良いくらいだ。
枝を書くことは目的ではなく、あくまで思考を展開する補助手段だからだ。
以上、3つの理由から、ブランチは書いた方が良い。
閃きも得やすくなるので、アイディアが求められる今だから得になる。
記:公認マインドマップインストラクター 近藤哲生
お知らせです。
近藤哲生事務局の西島千穂です。
多角的な視点からマインドマップ基礎講座を近藤が展開します。
9月、10月とマインドマップ基礎講座にも近藤が登壇しますよ。
http://www.kondotetsuo.com/mindmap/seminar/MindMap_Basic/index.html
マインドマップ基礎講座でよくあるご質問がある。
その1つが「創造力をつけるにはどうすれば良いか」である。
確かに、マインドマップを書くことがその方法の1つだとお答えする。
だが、それに加えて音読することもおすすめしている。
音読することで脳を鍛えることが可能だからだ。
音読で鍛錬できる部分が脳の前頭前野と言われる部分である。
書いて字の如く、脳の前の部分に当たり、額の奥にある脳の司令塔だ。
司令塔と言うのは、この部分が脳全体の働きを左右するからだ。
例えば、記憶、理解、判断、コミュニケーションを司る。
また、ここは言葉を組み立てる働きもする。
実は、言葉を組み立てる働きが創造力の源である。
これについては以下の検証がなされている。
東北大学の川島先生が次のような脳活動の計測をされた。
脳活動を調べる装置に被験者が横たわる。
被験者に「ねこ」と言う言葉を考えてもらう。
次に、「はしご」という言葉を考えてもらう。
この時、言葉を組み立てる脳が働く。
次に、その言葉に見合ったイメージを想起する脳が働く。
つまり、イメージすると言っても実際は言語の脳が活動する。
そして、被験者に世の中にない「ねこはしご」を想像してもらう。
この想像は、世の中にないことをだから、まさに創造的な発想になる。
すると、言葉を組み立てる脳が働き、イメージを想起する言葉が働く。
ここから、創造的な思考とは、言葉を組み立てる働きだと分かる。
よって、この働きが強いほど、創造的は思考の力が増すと想定される。
言葉を組みたてる力つまり言語力を要する音読を継続するとどうか。
国際的な心理テストで、創造力が向上することが検証されている。
こうして、創造力を鍛えるには、音読を継続することだと分かった。
音読する内容は何でも良い。
更には日本語でも英語でも、その他の言語でも良い。
とにかく、文字になっていることを声に出して読むだけだ。
音読は1日に5分ほどの音読を続けると先のように創造力がます。
また、音読は言語野を含む前頭前野を鍛えるので記憶力が向上する。
これまた心理テストで1ヶ月続けるだけで2割も向上すると分かっている。
創造的な発想は既存のものと既存のものの新しい組み合わせだ。
だから、既存のものを多く記憶しておく方が組み合わせが多く作れる。
つまり、発想は記憶に比例しているから記憶力がある方が良いだろう。
こうして、さらに記憶力も鍛えられる音読の大切さが分かってくる。
ここから、創造力をつけるには音読を継続することだ。
さらにいえば、マインドマップでは言葉を書く。
言葉の持ち手が多ければ、考えを的確に書き表すことができる。
つまり、言語力があれば、比例してマインドマップも上手く書ける。
そうなれば、マインドマップでよりよく創造性を発揮もできるようになれる。
マインドマップを書くときは言語脳を使っている。
だから、マインドマップは言語脳を鍛える方法でもある。
ここにからマインドマップと音読の好循環が見えてくるだろう。
もちろん、音読もマインドマップも継続が一番の鍵となる。
継続すれば抜群の効果が得られるが、しなければ効果は得られない。
一方、効果性を耳にしても、不思議なことに多くの人は継続をなされない。
理由は、眠いとかつかれたとか、あきたからとか色々だ。
でも、それらの理由は、表面的かもしれない。
一番の理由は変化を求めつつ、実際は変化をしたくないのだろう。
下手に創造力がつくと、あれこれやりたくなってしまうからだ。
それで何か問題でもあるのか、と思われるだろう。
だが、事実は、問題でもあるかのように音読を止めてしまうのだ。
同様にマインドマップを書き続けることを止めてしまう方もいらっしゃる。
あれこれやり始めると、周りからいぶかしかがられ、あらぬ批判がくる。
要は「出る杭は打たれる」と言う現象だが、誰しも打たれたくない。
だから、継続すると確実な変化がある音読を止めてしまうのだ。
これが変化を求めつつも現場維持をしたい人の常だろう。
随分と愚痴っぽいことを書いてしまった。
話しをもどそう。
創造力をつけるにはマインドマップを書き、音読をすること。
どちらも、継続してこそ能力を上げ続けることが可能だ。
ここに選択がある。
継続は力なりを選ぶか。
現状維持を選ぶかである。
もちろん、現状維持は決して悪くはない。
だって、多くの人は現状維持でご満足なのだから。
ここに気づいた方は何が違いを作るのかをもうご理解だろう。
記:公認マインドマップインストラクター 近藤哲生
お知らせです。
近藤哲生事務局の西島千穂です。
創造力アップの方法も講座で近藤はお話ししています。
9月と10月のマインドマップ基礎講座にも近藤が登壇しますよ。
http://www.kondotetsuo.com/mindmap/seminar/MindMap_Basic/index.html
マインドマップ基礎講座で次のご質問を受けた。
「マインドマップで覚えたいことを書けば1度で覚えられるでしょうか」と。
本件は興味深い質問だ。
多くの方が興味を持たれることかもしれない。
そうでないかもしれない。
いずれにしても、記憶力が強くなることは関心があるだろう。
あるいは覚えたいことがある時は誰でもそう望んだことだろう。
特に、試験勉強をする時やプレゼンの準備をする時だ。
1度で覚えられるものなら、そうして覚えられることはとても望ましいだろう。もちろん、そのように考えたことは、正直に告白すれば以前に何度もある。特に資格試験の勉強をしている時は、そうだった。
では、現実はどうだっただろうか。
現実は「何度も」と告白したように、1度では覚えられなかった。
1度で覚えられなかったのは、能力の高低ではなく、それが自然なのだ。
どうして自然か。
説明すれば、脳がそうするのだ。
脳は重量比で体重の数パーセントしかない。だが、体全体が使うエネルギーのなんと25%を消費する。だから、生命維持も担う脳自身の働きから、省エネに働く。無駄にエネルギーを使わないように働くのが自然な脳の仕組みだ。
一方、何かを銘記し、それを記憶に変える。
そして、記憶を長期に保持することはそれだけエネルギーを使う。こうして、あれもこれも覚えようとすることはエネルギーを消費することになる。
つまり、一度であれもこれも覚えようとすることは、脳の仕組みに反する。よって、脳の仕組みから1度であれこれ覚えられない。
だから、冒頭に「1度で覚えられないのは、自然なのだ」とした。
また、1度で覚えられないことは、自然というよりある種の恩恵かもしれない。もし、全てのことを1度で覚えるようなことになれば、エネルギーを瞬く間に消費するからだ。
この事態はエネルギーを多量に必要とするような緊急事態に際したら、生命の危機を意味する。それでは困るので、危機に瀕しないようにエネルギー消費を抑える脳の仕組みが働く。だから1度で覚えられないことは、生命維持の観点から恩恵となる。
では、1度で覚えられないのなら、どうすれば覚えられるのか。
ここにまた脳の性質が関係している。
脳は生命維持も担っていた。
生命維持に関係していることなら別の仕組みが働く。
その仕組みを記憶の公式から始めよう。
繰り返しの回数×1回あたりのインパクト=銘記(記憶→保持)
左辺を説明しよう。
「繰り返しの回数」は同じことを何回繰り返したかの数だ。
「1回当たりのインパクト」は感覚や感情など各要素の強烈さだ。
特に、強烈さを取りそろえた典型が映画だ。映画は、まず感覚の強烈さを備えている。具体的には、カラフルな映像と、流れるようなメロディーと響きを帯びた音楽と、そして特殊な効果音で体を揺らす。
次に、ストーリー展開を使って笑いや恐怖といった感情的な強烈さを聴衆に与える。このように映画は強烈さを揃えているから、映画の内容を覚えようとしなくても、1度で確実に心に残る。
今度は右辺を説明しよう。左辺の値が低ければ、まず銘記が起こる。短ければ数分で忘却がはじまる。あるいは、数日間は覚えておける。
左辺の値が大きくなってくれば、銘記は記憶になる。数週間から1ヶ月くらいの間は覚えておける。中期記憶と呼べるものだ。
そして、左辺の値がさらに大きくなれば、数ヶ月から数年、場合によっては生涯にわたって覚えておける。つまり保持が起こる。これが長期記憶であり、試験で求められるものだ。
右辺は左辺の値で変化した。
左辺の積をどれだけ大きくするかで決まる。
例えば、試験勉強で考える。よほど特殊な才能の持ち主でない限り、法律の文言やテキストの内容に感覚的な、あるいは感情的な要素を感じにくいから、インパクトは低い。ここから、銘記を記憶に、記憶を保持に変えるには、繰り返す回数を増やす。
そう、1回で覚えられるような奇蹟が起こりにくいことが見えてくる。つまり、1回で覚えられないのだ。だから、繰り返し過去問を解いたり、英単語を発音したりする。だが、別の働きを起動させる可能性もこの公式が教える。
先に、インパクトが低いから繰り返しが求められるとした。
だから、逆にインパクトが高ければ、繰り返しの回数は少なくて済むのは当然だ。
その典型が、トラウマ的な記憶だ。皮肉にも、感覚的な、そして感情的な要素が揃っているからこそ、1度で銘記から記憶、そして保持へと脳はその出来事を保存する。
別の見方をすれば、トラウマのようなインパクトの高い体験は生命維持にかかわる。トラウマ的な体験でなくても、感情が揺さぶられるようなストレスの高い出来事は体に悪い。
例えば動物に襲われて恐怖を覚えるような体験は、できうる限りその再来を避けなければならない。避けられなければ命が危うい。また避けられない個体は生き残れない。
危うさを避けるためにはそれを経験した時や場所を脳に確実に保持することだ。それが、命を脅かすことの再来から身を守ることになり生命維持に役立つ。
まとめよう。ある出来事において1回当たりのインパクトを高くすることは、そうした生命維持のシステムを起動するから、銘記や記憶ではなく保持になる。決して、トラウマ的な体験をすることをすすめているのではない。
そうではなく、その仕組みを利用したものが、映画であり、効果的な勉強法である。ひいては「マインドマップで覚えたいことを書けば1度で覚えられるでしょうか」とした問いの答えになる。
つまり、インパクトを高くすればよいのだから、視覚や聴覚や身体感覚などできるだけ多くの感覚を動員し、感情的な要素が強まる環境でマインドマップを書くことだ。どこにそのような環境があるのかとお考えだろう。だからここからその答えを述べたい。
答えは、拙著で述べたティーチング勉強法をすることだ。自分が覚えたいことをマインドマップに書きながら人に教えてみることだ。と答えを見て気持ちがひいているだろう。なぜ、気持ちがひくのか。その状態がインパクトの高さを暗示しているからだろう。
そう。お察しのとおりである。人に教える場面には、緊張感やドキドキ感がある。下手をすれば死ぬほど恥ずかしい目にあう。逆に、上手くいけば賞賛がり高揚感がある。つまり、感情的な要素が十二分に揃っている。
そして書いているマインドマップに自分は刮目し、周りの意見を聞きながら、もちろん書くために動いているだろう。
このように、ハイインパクトな環境が人に何かを教える場面だ。だから、少ない回数で、上手くいけば1回で覚えることを望むならティーチング勉強法を実践することだ。
講師という人種は職業柄これを自然に実践している。だから、次々と新しいことを覚えられる。だが、恥をかく可能性もあるので、リスキーな仕事でもある。だが、記憶の面では、お鳥目をいただきながらものを効率よく覚えられるので、得もする。ありがたい。
記:BLI&NLPトレーナー、近藤哲生
最後に、近藤哲生事務局の西島からお知らせです。
そのような質疑応答も十分にできるチャンスがあります。
近藤が担当するマインドマップ基礎講座です。
「フィッシュボーンノート術」を読了。
フォレスト出版発行、著者は駒井伸俊氏だ。
久しぶりにフィッシュボーンのノウハウを再考できた。
書籍の内容は、フィッシュボーンの特徴や効果から始まって、仕事術や自己実現まで幅広い分野への応用例までが紹介されていた。なるほど良書である。
20代30代の方々には、フィッシュボーンが新しい手法に思えるかもしれない。しかし、勉強家の方にはそうでないかもしれない。本書でも紹介されているように、フィッシュボーンは超一流の企業が50年以上使い続ける古典的な手法である。
もちろん古典的な手法だからと言って、それが良いものであるかどうかは別の話である。NLPで言う等価の符合観念を犯したくない。ただし、マインドマップと合わせて使った経験から申し上げて、使いようによっては評価に値する手法である。当然、評価についてはマインドマップも同様だ。
さて本著の感想を少し述べる。事例の紹介や手法の展開がすばらしい。それだけに、フィッシュボーンの良さを強調するために偏った記述が導入部で散見されるのがやや残念だ。
例えば、本書37項に「しかし、実際にマインドマップを描いてみると、放射状に発散していくために、下手をすると情報が発散してしまい、まとまりにかけるという印象を受けます。」とされている。
確かに、そのような印象を受けるマインドマップがある。しかし、そのような印象を受けるのはマインドマップだけではない。情報が発散してしまいまとまりがないという印象を受けるのは、場合によってはフィッシュボーンも同様だ。
フィッシュボーンやマインドマップという手法が発散を招くのではなく、手法の使い手の頭が発散を招いているからだ。どちらのノート術にしても、頭の中身を紙の上に展開する手法だと見れば、頭の中味が発散していれば、手法の違いはあったにしても、そうなってしまうのは当然のことだろう。
つまり、マインドマップだから発散するのではなく、またフィッシュボーンだから収束するのでもない。使い手が発散的にあるいは収束的に考えているのか、それが眼前にでてくるだけだ。その知見から申し上げるとマインドマップだから発散するというのはやや短見であり、偏った記述と先に申し上げた。
また同38項に「マインドマップでは視覚化しやすいけれど、構造がつかみにくい」とあり、続いて「そこで、構造化と視覚化の両方を実現する『フィッシュボーン』の登場です」とあるのだが、これについても考えてみたい。
なるほど、「マインドマップでは構造がつかみにくい」との場合もあるかもしれない。だが、構造がつかみにくいのはマインドマップだけだろうか。構造がつかみにくいことに関して言えば、フィッシュボーンも同様だ。と言うのは、どちらの手法にしても同語反復するが、使い手が構造的に考えているか否かが紙面に現れるからだ。
さらに申し上げるならば、構造や構造化が何たるかその定義を伏せたままで断定的な記述が続くことにも疑問だ。著者としては、先の構造については、語るに足りない当然のことかもしれない。だが読者にとって、その概念は当たり前なのだろうか。構造の概念を明確に述べられる声を寡聞に知らない。
「では構造化をどのように捉えているのか」との疑問もあるだろう。だから、「構造化とは、相互に関係する部分が全体をなしている様子」と申し上げておこう。定義だけで分かりにくいので、事例をあげる。それが、事実・データと論拠と結論・主張といった相互に関係する部分が論理という全体をなしている端的な例だ。
改めて繰り返すが、マインドマップだから構造化ができないのではない。さらに、マインドマップは構造化を書き方として規定している。だが、構造化をしないマインドマップの書き方をする人がいるだけだ。もちろん、このことはフィッシュボーンについても同じだろう。マインドマップだから論理が、あるいは構造化ができないのではない。そうではなく、論理的に、構造的に考えない人が先にいるだけだろう。
論理を例あげれば、論理的な思考や論理的なセールストークが話題になること自体が教えているように、論理を意識している人が少ない。言い換えれば、構造化した思考をする、あるいは必要とする人が多くないのだ。
論理的な思考をするしないを以て、頭の良し悪しを言っているのではない。そうではなく、文化的な背景が論理を好まないということが背景としてあるからだ。同一言語を使い同一の文化を共有している社会において論理を持ち出さなくても話が通じる場面が多々ある。逆に言えば、共有する文化や言語がないからこそ、その壁を乗り越えるための論理が必要となる。
一方、若い人たちの中にも、「KY(空気が読めない)」というように以心伝心的な会話ひいては論理から離れた感性を重んじる思考を好む流れが主流となりつつある。いうなれば、当人たちが意識していようがいまいが、腹芸や察するといった日本の伝統文化に回帰しつつあるのかもしれない。それはそれで慶賀のいたりである。
こうして、論理的な思考から疎遠になっている人が多く見られる。そしてそれが、紙面に投影されて構造化されていないノート術が眼前に展開される。そうではないだろうか。
ではどうすれば構造化されたノート術を展開することが可能か。これまでの理路からご推察の通り構造化した思考を展開することだ。例にも挙げたが、何かに関して意見・主張述べるならば、データ・事実そしてそれを評価して意見に至る論拠を示す手続きを紙面に展開する。そうすれば、フィッシュボーンを使おうが、マインドマップを使おうが構造化は可能となる。
「構造化が難しいからそれを促すノート術が必要だ」とのご意見がもちろんあるだろう。ならば、一つの回答をマインドマップの事例をもって示そう。例えば、構造化されたスピーチ術、あるいは文章術というのがあるが、建築物が構造様式という型を以て構築されるように、どちらにしても型を使って構造化を図ることができる。
その型が4段構成であり6段構成だ。4段構成は、問題提起、意見提示、論拠、結論、と四つの部分で構成する。6段構成は、オープニング、トピック、意見提示、背景、論拠、結論、と六つの部分で構成する。オープニングとトピックを問題提起、背景を論拠に回収すれば6段構成も4段構成に還元できる。
どちらの方を使うにしても、六つの部分あるいは四つの部分を、紙面中央に書くテーマを表したから伸ばしていく最初の枝に言葉として記述する。こうして、構造化の一端を始めることができる。
最初の枝に書いた言葉を抽象から具象へ、原因から結果へ、というように階層化するように展開していけば、構造化をさらに進めることができる。階層化とは、一定の基準で物事が層状に並んだ様子である。視覚的に申し上げると、マインドマップの枝が大枝から中枝、さらに子枝へと広がっていく状態だ。
そのように階層化で展開された一連の枝の中に順序を示すための符号や番号を記述すれば、時系列や概念の序列を表現することもできる。こうすることを序列化というのだが、階層化に加えて序列化を導入することで、例えば論理構成も簡単に構造化できる。というよりも序列化や階層化を導入しないと論理構成は成り立たない。
手法が結果を保障するのではなく、結果が保障されるように手法を使うようにすることが大切だと最後に繰り返して強調する。
最後にお知らせ。
今年も脳と勉強法がトレンドとしての強みを発揮している。
書店では、脳と勉強法のタイトルが平積みで存在感を示している。
特に、脳科学者や東大生が書いた勉強法がしばしば目にとまる。
そのため、マインドマップとフォトリーディングは今年も注目されるだろう。
この不況下、組織を今までのようにあまり頼みにできない。
将来に備えての資格取得や能力検定を目指す個人が増えることだろう。
そのような個人が支える勉強ブームがこれからも続くと思われる。
勉強ブームの核となるものが、先の2つだからだ。
さて、マインドマップとフォトリーディングには面白い共通点を持っている。
ともに、それらの手法が書籍や雑誌で十分と言えるほど公開されている。
その一方で、双方とも1日なり2日間の講座が開催されている。
まず、マインドマップは、「ザ・マインドマップ」や「マインドマップ仕事術」、「マインドマップ超入門」を始め各種の書籍が存在する。なかでも、「ザ・マインドマップ」は特段の情報量を誇っている。各人が読みすすみ、各所にある手法に取り組めば多いにその手法から効果を期待できそうである。
次に、フォトリーディングは、「あなたもいままでの10倍速く本が読める」やそのムック本が存在し、これまたその手法に関して十分な情報開示がなされている。更には、ホームスタディーキットも販売されている。
2つの状況から、独修が可能な環境が整っていると言って良い。
この状況を眺めると、ここにひとつの疑問が起ち上がってくる。
それは、「手法が公開されているの一方で講座が存在するのはなぜか」だ。
1つの解答して、「それは独修できることであるのに、売らんがための単なる商業主義でやっているからだ」とすることもできる。もし、そうなら講座に参加した人々から「書籍でできることをなぜ講座にしたのだ」と苦情が上がるだろう。しかし、短見が及ぶ限りそのような苦情を耳にしたことはない。
では、なぜ独修可能と思えることを講座という環境でわざわざ学ぶのか。
その理由を次のことから見てみよう。
車の運転を覚えるには自動車学校に通う。
綺麗に泳ぐためにスイミングスクールに通う。
見事なティーショットを打つのにレッスンプロを雇う。
以上の3つに共通するものが、動的なプロセスとそれを修得する環境との関係である。講座に通う理由は、それと同様のことではないだろうか。
マインドマップもフォトリーディングも双方が、動的なプロセスである。
動的なプロセスとは、例えばスポーツに取り組む人の動きのようなものである。マインドマップは、セントラルイメージとして表現された目標にかかわる情報を毎瞬湧き出す連想や想像を、脳から紙面へと出力する。一方、フォトリーディングはこれから展開する手法で得ようと設定した目標にかかわる情報を、各種の視線や手法を駆使しつつ脳に入力していく。
このように、入力と出力の違いはあるものの、共にリアルタイムで常に変化し続ける知的過程のうえに両者は成り立つ。このように、2つに共通することは、まさにマインドスポーツとして動的なプロセスを持つと言える。
動的なプロセスゆえに、スポーツにおいて各種のコーチがなすような、そのプロセスを正しい方向に導くリアルタイムで正確なフォードバックが望まれる。それぞれの講座を担当するインストラクターがその役割を担っている。
「畳みの水練」と言われようが、書籍や雑誌に公開されている情報から手法をそれなりに学ぶも、動的なプロセスを学ぶ最適の環境である講座で学ぶも、個人の自由である。もちろん、その自由にはそれぞれに結果が伴うだけである。
マインドマップの書き方が直接に見て聞いてわかる基礎講座はこちら。
マインドマップ基礎講座
最近、ある人から不思議な話しを聞いた。
その方は、フォトリーディングのインストラクターである。
「フォトリーディングの講座に魔法を求める人がいて困る」と言うのだ。
魔法とは、一瞬で書籍や法律文章を理解することである。
または、英語の原書を一瞥しただけで分かるようになることだ。
そのようなことが不可能だと分かると、苦情を述べる人がいるそうだ。
それはいかがなものだろうか。
確かに、奇跡を期待したくなる気持ちも分かる。
私もそのような時期があったので、少なからず理解できる。
だが、その期待は裏切られても仕方がない、というのが私の考えだ。
もし、そのようなことができるならどうだろう。
誰が額に汗して本を読み、法律を学び、英語の辞書をめくるだろうか。
本当にそのようなことができるなら、とっくに教育に採用されるはずだ。
逆にできたとしたら、教育は決して採用しないだろう。
もし採用したら、それは教育でなくなるからだ。
そうでなくても、そのようなことが本当にできたら困ったことにならないか。
何でも見た瞬間に理解できることを想像して見て欲しいのだ。
もしそれが可能ならどうだろうか。
自分が理解したくないことも瞬時に理解してしまうことになる。
知りたくないことの情報が一瞬にして精神に乱入してきてしまうのだ。
それが事実として起こるとしたら、それに遭遇した心は混乱の極みだろう
極論に聞こえるかもしれないが、精神は崩壊に見舞われるだろう。
そこまでいかないにしろ、要するにそうなれば洗脳と同じである。
本人の意志とは無関係に短時間で精神的な変化が起こるからだ。
このようなことは知的健康から見たら危険ではないだろうか。
フォトリーディングに魔法を求めるのはそれを良しとすることだ。
魔法を求める人は、そのような魔法が自分自身にあって欲しいのだろうか。
本当にそれでよろしいのか。
ただし、フォトリーディングが危険だと言っているのではない。
そうではなく、フォトリーディングは読書法の1つなのだ。
あるいは情報獲得法であり、決して魔法ではない。
そのことを申し上げたいのだ。
日常的にフォトリーディングを活用するが、私に魔法は決して起こらない。
確実に理解や読書の速度が上がったりするのは確かなことだ。
だが、それは決して奇跡ではなくあたり前のことだろう。
それが洗練されたテクニックというものだ。
ただし、その効果があらわれるには条件があるのだ。
専門分野であったり、馴染みの作家であれば効果を実感できる。
考えてみればあたり前だが、そうなるのは語彙や知識があるからだ。
語彙が本に意味を与え、知識が推論を助けてくれるからなのだろう。
だから、専門分野や馴染みの作家ではフォトリーディングの効果が顕著に現れる。
以前、速読のパラドックスをこのブログに記した。
速読をするには、時間を掛けて本を読み語彙を増やす。
そうすることが、結果的に速読を助けるから精読の大切さを強調した。
以下は推測だが、フォトリーディングには省略された前提がたぶんにある。
その前提は、繰り返すが読者が語彙や知識を豊富に持っていることだ。
読者が脳内に高速検索できる辞書を持っていたらどうだろう。
想像するにまさにフォトリーディングが可能なはずだ。
目にしたことを高速に意味の検索できるからだ。
では、そのような脳内辞書は、どうしたら可能だろうか。
常識的に考えれば、日頃の努力や勉学によってできるはずだ。
過去を振り返れば、勉学で努力した人がでそうであったことが思い出される。
だから彼は高速に教科書を理解し優秀な成績を収めたのだ。
たぶん、フォトリーディングは地道に勉強する人にこそ恩恵をもたらす。
コツコツと未知の言葉を調べ、地道に知識を増やす人にメリットがあるのだ。
さて、考案者はNLPを学んでいる。
そのNLPを使って読書が得意な人を研究したはずだ。
その研究手法をNLPではモデリングというが、大方そうしただろう。
そうして、効果的な読書の戦略をフォトリーディングとして再構築したのだ。
そう断じるのは、各所にNLP的な手法が見受けられるからだ。
ただし、このプロセスで省略された前提があるようだ。
それが先に申し上げた読者の語彙や知識の豊かさだ。
なぜそれが言い落とされているか。
もちろん、それを言わないのは多くの速読法も同じである。
1つの推測を申し上げれば、それを言っては商品として売りにくいからだろう。
だからといって、速読法の全般が無効であることを意味しない。
努力を敬遠する人を遠ざけたくない心使いからだ。
例えばの話しである。
「朝起きたら顔を洗いましょう」といちいち言わない。
「眠る前は歯を磨く方が良いですよ」も同様に言われない。
フォトリーディングで、地道に語彙や知識を増やすことはそれと同じだ。
こうして魔法がフォトリーディングに存在しないことが分かった。
フォトリーディングを効果的にするには地道に勉強して語彙を増やすことだ。
もし、フォトリーディングを魔法たらしめたければ、額に汗して勉学する。
これこそが、考案者が省略した本当の前提かもしれない。
もちろんこれは試験勉強術にも通じている。
合格を目指す試験勉強術講座は3月20日に開催。
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